「バブル世代の上司とは合わない。だからキャリアを伸ばせない」
「定職に就けなかった。結婚して家を建てるなんて無理」
「老後の年金が不安」
これらがバブル崩壊後の不景気に翻弄された「氷河期世代の悩み」ではないでしょうか?

私自身、氷河期世代の一人としてバブル世代のパワハラ上司に苦しめられました。結局、選んだ道は未経験のIT部門への異動でした。異動後、未経験ゆえの苦しみを味わいました。
暗い過去を持つ自分を振り返り、最近では歴史上の出来事や人物から教訓を得ようとしています。
歴史を学ぶ中、実は同じような苦しみを抱えながらも、晩年に小さな成功を収めた人物を見つけました。それが今川氏真です。
今回は今川氏真を題材にして、氷河期世代に次のような生き方を提案します。
今川氏真に学ぶ!氷河期世代の生き方
①好きなことは、とことんやる
②利用できるものは何でも利用する
③人の目は気にしない
④最後に花開くことを信じて待つ
この考えを基にした、私の経験談は別の「実践編」で紹介する予定です。
何故、今川氏真なのか?その生き方とは?
氏真は氷河期世代の人生モデル

その理由は2つあります。
理由の一つ目は、氏真の半生は氷河期世代と似ているため。
駿河・遠江の大大名だった氏真は、武田信玄と徳川家康の侵攻を受けて領地を奪われました。青年期は大大名から一転、流浪の苦しみを味わいます。
戦国乱世に誰もが知る強者達と敵対せざるを得なかったのは、氏真の不運でした。
氏真の半生は、青年期の「不景気に苦しめられた氷河期世代」と似ています。
理由の二つ目は、氏真の晩年は氷河期世代が目指す「小さい成功者」であるため。
晩年の氏真は500石の一武士でした。70万石の大大名だった頃と比べると随分落ちぶれました。しかし晩年は夫婦寄り添って77年の長寿を全うし、子孫を徳川幕府の旗本に仕官させました。
戦国最強だった武田家も、天下人だった豊臣家も滅んだのです。それだけ厳しい時代を生き残った氏真は成功者の一人ではないかと考えます。
この記事の読者は人生経験豊富な氷河期世代です。もはや一発逆転&大成功は難しいと気づいているでしょう。ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんの生き方は参考になりません。よって小さい成功を得るために、氏真のような人間の生き方を学ぶ必要があると考えました。
氏真はこんな生き方だった

① 好きなことは、とことんやる
氏真は最初、大名であることに拘りました。流浪の氏真が領地を奪還するためには、大きな後ろ盾が必要でした。最初は妻の実家で関東の大大名・北条家に頼りました。
しかし北条家では領地を取り戻せませんでした。次は家臣同然だった徳川家康を頼りました。徳川家康は氏真を裏切り、領地を奪った人間です。その家康の家臣になったのです。
恥を知るはずの武士が面子も節操も捨てました。しかしこれも一重に大名返り咲きのためでした。
大名返り咲きが果たせぬとなると、次は和歌や蹴鞠を嗜む「文化人の才能を伸ばすこと」に拘りました。
自分の都合で主君・家康の元を離れ、京都で公家との交流を深めたのです。領民の幸せではなく、自分と家族の幸せを優先する生き方に変えました。
②利用できるものは何でも利用する
先ほど述べた通り、青年時代は北条家や徳川家の縁に頼りました。晩年に子孫を徳川家に仕官させるのに利用したのが、氏真の文化人としての実績でした。
③人の目は気にしない
氏真は合理的かつ柔軟に生きた人物でした。滅亡した武田家や豊臣家のような「大名の誇りを守るため、戦って死ぬ」家風とは違いました。希有な価値観を貫いた武士でした。
厳しい時代を生きる自分の力不足を認め、苦しいときは妻の実家や元家臣に頼りました。恥や悔しさもあったでしょうが、とにかく生きることを選んだのです。
④最後に花開くことを信じて待つ
氏真は晩年、文化人としての才能を伸ばしつつ好機を待ちました。そして自分の才能を受け継いだ子孫を徳川家に仕官させることに成功しました。失うものも多かったが、とにかく生き続け最後には花開いた生涯でした。
まとめ

以上、氷河期世代の生き方を提案しました。
普通の人が、時代の不運を背負って生き残るなら、生き方はこの2点に尽きるのではないでしょうか。
「自分の力不足を含めて現実を受け止め、合理的かつ柔軟に行動する」
「晩年の成功を信じて、出来ることから地道に努力する」
時代は違えど必死で生きた人間の生涯は何か心に残ります。これは歴史の魅力の一つではないでしょうか。読者に少しでも参考になれば幸いです。
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